「笑われる勇気」読後③
借りた金でギャンブルはやらない。
相手次第(自分よりも儲かってる人か否か)で、おごるか・おごられるかを決める。
仕事は、お金をくれる人・金の出処は、誰なのか・どこなのかを考えてするもの。
命にかかわるような仕事(バンジージャンプ、スカイダイビング等)以外なら、お金を稼げるなら何でもする。
蛭子さんのお金への態度には、一貫したものがある。
恥とか罪悪感とか虚栄とか・・・そうした、お金というものにどうしてもくっついてきてしまう『意味』が、くっついてない。
最近、読んだもので、『「お金」のシークレット―人生を変える”感情”と”お金”の法則』という本がある。その本にあった内容だが。
人間はお金に『意味』づけを行い、お金本来の目的とは違う使い方をしてしまう。
その結果、不健康な代表例が、「買い物依存」や「ギャンブル依存」だ。
蛭子さんはお金に対して、あまり意味づけをしていないようだ。
しているとすれば・・・競艇や麻雀、映画を楽しむための道具。家族を食べさせていくための道具。
この2つだろう。
お金に感情的な価値や、本来の目的以外のものがくっつかない。
透徹しているから、経済行動がブレないのだ。
競艇に50年以上も通い続けていても、蛭子さんがヘルシーでいられるのは、このためだろうか?
ひんしゅくをよく買うタイプだろうし、実際、この本の中でのQ&Aでも、ひんしゅくを買いそうな発言をしている。
そもそも、Qに対するAが全く噛み合ってなかったりするケースもあった(苦笑)
深刻そうな相談に対しても、いきなり競艇の話を始めてしまう。
「今日は競艇で負けたから、他人のそんな相談に答える気分じゃない」とか。
なかなかヒドイ(笑)
ヒドイのだが、アンサーの中から垣間見えるものは、彼の哲学だ。
蛭子さん的な生き方は、そうそう真似できるものではないと思う。
私自身、ひんしゅくを買ったり笑われたりするのは、「やはり、ちょっとそれは・・・」となる(苦笑)
それでも、心の片隅に蛭子さん的思考を置いておくのは、とてもヘルシーで良いのではないかと思った。
私が競艇やその他ギャンブルをやることは、おそらく一生無いけれど・・・
蛭子さんにとっての競艇のように、「これだけは他の何よりも好き」とか「これだけは自分の生きるための行動なんだ」と言えるものが・・・ありそうで無い。
割と、広く色んなことに興味や好奇心を抱くタイプではあるのだけれど。
そうしたものを1つ、2つくらい見つけておくことは、実はものすごく重要なのではないか?
働くことやお金と自身の関係について問い直しをしている最中の身には、非常に面白く、学びの多い一冊だった。
学びながら、仕事がしたい
蛭子さんの記事が半端になってしまっているのだが、忘れないうちに外在化しておきたい。
ちょっと・・・いや、かなり大事なことだ。
表題の通りだ。
私が働くときのキーとなるのは、物事の新規性と知的好奇心への刺激、学びだ。
何故、気づかなかったんだろう?(気づかなかった自分に気づき、今、かなり動揺している。文章が変かもしれない・・・)
実は、すごく重視していたんだ。
重視というか、渇望に近い。
それらが無いと、私には『仕事』が、途端、『つまらない単純作業』になってしまう。
つまらない・面白くないことは、どうしても続かない。
大抵、どこかのタイミングで無理が生じる。
フルタイムになれば、その『つまらない単純作業』に長時間拘束させることになる。
続かないのは尚更だ。
振り返ると、勉強をしつつ仕事をしている時、(そりゃ大変でなかったわけではないけれど)仕事が楽しかったのだ。
具体的目標設定と計画、それに沿う学習と実践。
達成の可否も大事だが、なにより、学びと実践を同時に進められる。
これが楽しいし、続く。
自分で自分の伸びに気づく。
「あ、これは」と。
ある程度、決まりきった答えやマニュアルの無いことの方が好きだ。
予定不調和の方が好きだ。
「あー、はいはい。わかったわかった」という時よりも、
「えぇー・・・なんでだ!わからん!」と、なっている時の方が面白い。
その中で、自身なりの答えを練り上げること・見出すこと、また、他の人たちの意見や答えを聞きながら学び、よりよいものを構築していくことが好きだ。
お金と自身の関係に、気づかぬうちに、とても苦しんでいた。
恥とか罪悪感とか破壊とか苦悩とか。
とにかく、私のお金へのイメージは悪い。
そういう目でしか見ることのできない、不健康なストーリーの積み上げが原因だ。
でも、資本主義の世の中で、人はお金と離婚もできないし、別れることもできない。
お金から逃げ出すことはできないし、自分だけにお金が集まってくるように仕向けることもできない。
過去は変えられない。
ギャンブル依存による金銭トラブル・人間関係トラブルを起こした父はもういない。
亡くなって10年。
亡くなった人間との間にあったストーリーに縛られ、いつまでも自身の現在や未来を暗くするのは、愚かしい。
大切なのは、今。
そして、これからの将来をどうしていくか、だ。
問い直しの最中ではあるが・・・少しずつアウトラインは見えてきているように思う。
『自分とお金との関係をヘルシーなものにしたい』。
そう心から思うのだ。
親の困窮(不適切な消費行動を含む)のため、18歳からなんだかんだ、ずーっと働いてきた。働かざるをえなかった。
ごく狭い選択肢の中でしか、働くことも、稼ぐことも、使うことも、得ることも・・・選べなかった。
悠長に考えている暇などなかった。
明日の生活、来週の生活、来月の生活を心配し、不安に思う。
20年、そんなことを繰り返していた。
そうした経験は、もうよい。
もう、いいじゃないか。
逆に、圧倒的に足りていない、自身のためにお金を稼ぎ、使い、それを味わう(吟味する)という経験。
恥じることなく、お金に向き合い。
罪悪感を持つことなく、お金を消費し。
意義や満足を味わい、吟味する。
それら積みたい。
現在を、未来を見たい。
心や体があまり丈夫ではない。
子どもの頃から自覚はある。
むろん、健康維持のための努力はする。
ただ、若い頃からの無理や無茶がたたっているのは事実だ。
くわえて、心身の声をないがしろにする悪癖が未だ抜けていない。これは課題だ。
自分が死ぬまで付き合う『自分自身』だ。
時々の不調にもなんとか折り合いをつけながら、上手に付き合っていかなければならない。
自分を、自分の心身を大事にしたい。
そうしながら働きたい。学びたい。
さぁ、何を学ぼうか。
「笑われる勇気」読後②
生前、父が起こした、金銭トラブル・人間関係のトラブルが影響し、未だにお金が怖い。とても苦手だ。
お金は、人が作った道具。
しかしながら、人間がお金に対し、意味づけや物語を持った瞬間、お金は様々な事象を生み出す。
時に、人を癒やし励まし元気づけ、
時に、人を迷わせ悩ませ苦しめ、
時に、人を助け救い出し、
時に、人を地獄の3丁目まで連れてってしまう。
私のお金への恐怖心は、たぶん、「3丁目」とまではいかなくとも。
「地獄の1丁目の手前あたり」まで連れていかれた経験から来るものだと思っている。
ヘルシーじゃない。
事情が事情なので、そうなるのは無理からぬことだけれど。
そんな自身とお金の関係が、結構苦しい。
蛭子さんの話に戻ろう。
この方、そういう点では、とてもヘルシーなのだ。
病気のにおいがしない、というか。
(私の偏見で大変失礼な言い方になるが・・・)
「ギャンブラーの墓場」なんて言われることもある競艇に、50年以上通っているにもかかわらず、だ。
・・・何故だ?
本の中に登場する、一貫した彼の信条?こだわり?がある。
「人から借りたお金でギャンブルはやらない」。
これは、彼のヘルシーさの大きな要因だろうな、と。
蛭子さんは言う。
自分が稼いだお金を賭けるから、勝った時は小躍りするほど嬉しいし、負けた時は涙が出るほど悔しい。でも、それがいいんだ、楽しいんだ、と。
借りたお金で勝ったり負けたりしても、そんなのどこが楽しいんですか?と。
なるほど。ごくシンプルで、ヘルシー。
「笑われる勇気」読後①
これは衝撃的だった。
久しぶりに人に薦めたい本と出逢った感じ。
子どもの頃、たびたびテレビで見かけるその人に、
『なんかボーっとしたオジサンだなぁ・・・』
という感想しか抱いていなかった。
テレビに出てるといっても、そもそも、彼は漫画家だと言う。
どんな絵を描くのかと見れば、
子どもながらに『あんまり上手というわけではなさそう・・・』
という印象しか受けなかったことを、今でも覚えている。
近年、彼が旅番組で再ブレイクしたことについては、ウェブ記事で見かけるので、
『へぇ~そうなんだ』程度で。
特に、気に留めるわけでもなかった。
そんな認識が、つい先日。
ぐるりとひっくり返った。
ひっくり返った拍子で、私の中にあった諸々の何かが、良い意味で崩れもした。
某雑誌に寄せられた読者からの人生相談に、彼がゆるゆると答える。
「笑われる勇気」 蛭子能収。
広く知られている通り、蛭子さんは大の競艇好きだ。
競艇場に通い、遊ぶために生きているような人だ。
齢70を超え、競艇に通い続けて50年以上。
漫画やタレント活動を仕事にする前から、蛭子さんの生きるための行動、生きることの中心は競艇だった。
私は、ギャンブル依存と度重なる借金で身を滅ぼした亡父を思い出してしまうため、
競艇含むギャンブルやそれらに関係するあらゆる人に対してプラスの感情を抱くことが、まず無い。
本来なら、蛭子さんに対してもまた同様、プラスの感情を抱くことは無いはずだった。
過去実際に、地元競艇場のCMに蛭子さんが出演しているのを観て、腹が立っていたくらいだ。
※ギャンブル依存症については、また別の機会に記事にしていく予定。
しかしながら、この本で語られる大の競艇好きの彼の言葉に対して、
私自身、不思議に思われるほどプラスの感情を抱いた。
これは意外だった。
衝撃だった。
一体全体、私はどうしてしまったのだろう?と。
≪読後②へ続く≫
ぺらぺ~らになりたい
はろー、まいねーむいずどらねこ。
まいいんぐりっしゅいずのっとぐっど。
どうも。
最近、英語学習始めたどらねこです(・ω・)ノ
お子たちが新学期(まだ何一つ始まってないけれど・・・)で、受け取った英語の教科書。
眺めてたら、何だか、どうにも・・・私の頃と違う( ゚д゚)ハッ! ←四半世紀以上前の話
文法が~文法が~と言われながら、学校で英語教育受けてた我々。
気づく。
お子たちが受ける英語教育との大きな違いは、おそらく『聞く・話す』だ。
無論、聞く・話すについての指導が全くなかったわけではないが。
特に、どらねこの場合、中学~大学も合わせると、だいたい8年くらいは英語教育を受けていたはずなのに。
てんで喋れない。
実用できないのだ。
特段、英語が苦手だったわけでもない。
教科としては好きな方だった。
それなのに。
春なのに(違
なんか、くやしい!
そんなことで英語学習を始めてみたのですが・・・
結構、忘れてるところが多い(キリッ☆
歳かなぁ~(゚Д゚;))))ガタガタガタガタ
いやいや、使えない・使わないってことは、こーゆーことなんだ。
んで、無料の学習アプリ使ってたけれど。
正直、物足りない(・3・)ブー
先日、勤務先に英語できるという方がいらっしゃって、フンス!フンス!と鼻息荒く聞いてみた。
「話せるようになりたいんですけど、独学するのに、何かおススメの手立てってありますか?(フンス!」
英語できる方「あー、ラジオ英会話がいいよ~」
おぉ!
ラジオ英会話!
原点回帰!
大学受験の時に、ひそかに使ってたヤーツ。
なるほどなるほど。
やってみるー!!
テキスト購入ポチっとな☆
来い故意ネット広告
おそようございます(毎度おなじみ
最近、働きに出始めて・・・
ブログ書きたいし、本も読みたいし、
歌いたいし(ずっと歌ってないとホント声出なくなる・・・)、
半身浴したいし、ゲームしたいし、英語学習したいし、
オンライン吞み会とかもしたいのにっ!
どれもこれもままならない。
ハンパな猫やってます。どらねこです。
嗚呼、四苦八苦。
求不得苦。
南無三。
てなわけで、(特技は文脈無視)
今日は、ネット広告に一言物申す!!(エガちゃん風)
アラフォー、お年頃などらねこの端末には、ネット広告がいっぱい。
その内容が最近気になる・・・
シミ
シワ
白髪
ダイエット
浮気調査
離婚相談
( ゚Д゚)ポカーン
・・・いや、気になるというか、傷付く!!w
わざとかな?
いじめかな?
やめよう、いじめ(´ω`)
某youtubeの広告(今、アレ流行ってんのかしら?)は、
長々と静止画(マンガ)にアテレコ、編集した動画。
これがやたら多い。
そのストーリーが、またエグくて辛い。
&ツッコミどころ満載。
以下、広告のストーリーの一例。
結婚して数年、何不自由ない不足ない暮らし
→夫の浮気判明
→主人公(妻)ブチキレ「なんで!どうして!」
→浮気夫「女はやっぱりスリムな方が良い。お前は結婚して太った。もう女として見れない」
→主人公「Σ(゚д゚lll)ガーン」 号泣しながら友達に泣きつく
→友達「ひどい!痩せて見返してやろうよ!」
→主人公「でも、私ダイエットいつも続かなくて」
→友達「私も太ってたけど、このサプリで痩せたよ!」
→友達が主人公に対し、ダイエットサプリがいかに素晴らしいかを、まわし者のようにペラペラと解説
→主人公「私もやってみる!」とか言っちゃって、サプリを友達からもらう
→主人公1日1回サプリ飲み続ける
→数日後、トイレで何かが大量に出る
→主人公痩せる(1カ月で8キロとか痩せる)
→主人公「痩せてキレイになっちゃった(はぁと」
→浮気夫の末路紹介 主人公「見返してやったわ!」
→今なら!このサプリが一番下のリンクから格安で買えます!!
【広告終了】
<どらねこ的ツッコミ>
夫が定番過ぎるくらいダメ。もし、生活自立できるんだったら、さっさと離婚した方が良い。
主人公は自分軸がもろい。友達は何か他にも色々やってそうで怖い。
1カ月で8キロも痩せたら、生理止まったり、髪・皮膚・爪がボロボロになったりする可能性が高い。
痩せて「キレイになる」かどうかは、元々のスペックも大いに関係するので、一慨には言えない。
浮気夫の末路をわざわざ紹介し、見返した!とか言っちゃってる時点で、いくらキレイでも、いくら痩せてても、主人公に好感が持てない。
何なら、「結局、夫と同類なんだろうな」とか思う。
「今なら格安で買える」理由を明確に示して欲しい(真顔
以上。
なんちゃって。
買わないアラフォー。
そんな風に思うのです。
宿題ってやつを〜燃や〜して〜(自粛)
休校措置の続く子どもたち。
先日、学校から連絡が来て、休校中の宿題が発表された。
宿題の内容を見ると・・・
う〜ん。。。
幸い、教科書はすでに受け取り済みなので、出来なくもないけど。
それでもやはり、学校での授業が全く無い中、コレやんなきゃいけないの???
ずいぶん要求レベル高いなぁ・・・
もし、私が子どもたちの立場だったら、ぶっちゃけやる気しない(白目
というのが、正直な感想。
学校の先生たちも苦心して考えて考えて、宿題という「体裁」を保てるようまとめたんだろうけれど。
そんなこと思う一方で、ふと考える。
「私が、この『ぶっちゃけやる気しない宿題』をやってみたら、学校側の要求にどれくらい答えられるんだろうか??」と。
今まで、自分の子どもたちに「勉強しろー」なんて言ったことないけれど。
まだまだ世間的には言っちゃう派が多いのが実情だろう。
大人は勝手なもんで、いつの世も、結構、そんな感じだ。
自分がやらないことを、できないことを、子どもに要求してしまってる。
小学生の時の私。
それヤバいだろ・・・ってくらい、宿題が嫌いだった。
嫌すぎて、庭で燃やしてしまったこともある(ゆるい時代・・・恐ろしい。汗
父は、勉強に干渉する、あるいは、勉強を押し付ける人だった。
(母は、逆に無知・無関心で、「女に高等教育は必要ない」という考えの人だった。夫婦で全く方針が違うので、よくモメてた。)
父からの押し付けがひどかったのもあり、就学当時から、誰かから出される宿題をやる、ということをめちゃくちゃ嫌ってた。
学校の授業は嫌いじゃなかった。
自分の知らない新しいことに出会い、それを習ったり、やってみたりすることは、楽しかった。
成績も決して悪い方ではなかった。
ただ、私自身の興味・関心に基づかない、先生が出す宿題には、心の底から意味を感じられなかった。
さて。
今回の子どもたちの宿題。
状況は全く異なるにせよ、子どもの頃の私が感じていた「うわ・・・やる気しない・・・」に通じるものはあると思う。
しかしながら、異例の事態の中、先生方もきっと苦心してやっと出した宿題だ。
何かこう、実際にやってみたら、彼らの思いとか、ねらいとか、目的とか・・・そういうのが少し分かるんじゃないだろうか?
てな訳で。
元・宿題を燃やすほど嫌う子どもだった私が、大人になって宿題をやってみたらどうなるかをやってみようと思う。
まずは、ノートを買うところからだなw
嗚呼、生パスタ食べたい・・・(自粛